「お盆」に人が集まる処
「お盆」だから行かなければならない所がある。という訳では
ないわけだけれど・・・・。身近な「人」が亡くなっていたり・・・。
既に亡くなっている人を何時まで経っても大切に思うというか、
大切に考えていたりすると、「お盆の用事」が沢山あるのかもしれない。
本当に「死者」と遭遇できるはずなどないのに。自分の「存在」を確認したい
のかしら・・・?とかも思うのだけれど。昔からある風習とか慣わしのような事
は結構、大事なようで・・・。又、「田舎の話と都会の話」ではないのだけれど。
時間の使い方が、そもそも違うわけでー人の意識の問題なのだろう。
「あをぎり」みたいな仕事をしているとよく気がつくのだけれど。-人は「集まる
場所」を結構、探していて「人が集まる場所」はやはり必要なわけで。
そういう意味では、人が「家」を建てたがる自分の家がほしいと思うのはやはり
無理のない事なのだなあ。と思う。-「墓」と「家」のどっちがほしいかといえば
やはり「家」なのかしら・・・・?!墓はなくても生きてゆけるわけですものね。