ひとりでいることの意味
「人間」は生まれる時「一人」で(双子ちゃんとかではナイ限り)死ぬ時も
ひとりなんだから「所詮ひとり」なのよ。ーというのが母の口癖だった。
最近は随分、年も執って、この口癖は聞かれなくなったけど・・・。
「家族」が一緒に暮らす。というシステムは無理のない自然の事だと思って
いたけれど。思えば私の実家の家族は、案外「それぞれに孤立」していて、
それ程ベタベタした感じはあまりなかったように思う。
今、「家族の崩壊」とか「父親不在」などと取りざたされているけれど・・・。
長い人生の中で「家族」を味わえる瞬間なんていうのは案外、短い。
画家だった私の父は「家族」など本当はあまり求めていたはずもなく、ただ
私が生まれてからは画家を放棄し母と私への愛情へ翻弄されたのかもしれない。
そんな父に対して「母も私」も「彼の生き方」を恨んでいた・・・。その「生き方」に
たいする「嫉妬?」ーだらしなさが辛かったのだけれど・・・。やはり奇妙な家族
関係なわけで・・・。
長い間、父が「画家」だったという事を口にしたり認めたりした事などなかった訳
だけれど、最近ある事で平気でそれを喋ったりできるようになり・・・。
「父が絵描きだったの」と口にする度に、「胸がキュンと結構せつない!」
その父が酔って「パリは遠し・・・」と朔太郎だったかの詩を詠んでいたけれど。
そのスタイルが嫌いでよく喧嘩したり議論めいた事をやっては叱られていた!
昨日、村上龍の小説を読んでいて「ポン・ヌフ」の絵(カンバス)の入ったトランクを
パリに捨てにゆく。というストーリーがあって・・・。ご本人いわく、「そんなロマンチ
ックな想定では良い小説はかけないね・・・。」という事だった・・・。
だからと言うわけではないのだけれど・・・。父親の事もあってか。私はパリにいる
絵描きさんたちは「スタイル」なのだと思いこんでいたところがオカシイ。ーまあ「スタイ
リッシュ」だといっておくけれど・・・。最近ではそういう「人生」も素敵だなあ。と思える
ようになってきた。ようやく父の事なども「父の絵」なども「案外、いいじゃない・・・。」って
おもえるようになってきた・・・。
そんな風に「パリ」の事などを考えていると「パリ」からブログのコメントが入ってきて。
胸がときめいた!!まあ、世のえせ絵描きたちを許した「心の寛容」にパリ便りの
ご褒美かしら・・・?!あしからず・・・。