「家」の話ー「家」は持つもの・持てる「場所」と持てる「荷物」
最近、人間関係の事を、しばし考える。ー人間関係の「妙」というのは
長く、長く更に「長い人生の岐路」のように思う。ーとにもかくにも。
アル程度「長生き」しないことには「人間関係」は解らない。
夫婦であったり恋人同士。仕事仲間・友人関係・親子関係・ご近所つきあい
様々に「人間関係」は繰り返される。ーよりよき「人間関係」は人生の岐路。
やはり「長生き」しないことには、なかなか解決できなかったり、解りにくい
部分が多々、あり。人間関係は大事にした方が良いのだと。つくづく思う
今日この頃です。一人でいる事が「楽」というか、一人がいいので「集団」
とか「組織」が兎に角「苦手」という自分も、そろそろ年をとってしまうと。
何のわだかまりもなく普通に自然にお付き合いできる事が嬉しくなるわけで。
「普通であれ。」とよく、父が「酒」がはいると吐いていた「言葉」に思いあたる。
そのように「家」の問題も「普通」であるようにに務めればよいのだと、そのよう
な結論に至る。ー八幡の「横尾邸」は興味深い「お屋敷」で。
この「家」の行く末を見守りたい。ー2006年11月・ちよかさんのコンサート。
竹久夢二を思わせる「酔い待ち草」ーしなやかに美しく。
そこはかとない秀麗の趣。ー美しい千代かさんの女性らしさを伴って。
コントラバスがお屋敷に響きました。ーグット・ラック!
そのような訳で「家」にまつわる「エピソード」は毎日営んでいると「反吐」がでるほど
数々あるわけで。その事柄を「小説」みたいに出来すぎている」と感じていた自分が
情けなく。実は「小説より奇なり」という具合で。ーここ「あをぎり」に訪れるお客様の
数々の「じけん」は美しくも儚く本当の事実なのだ。という「現実」に乾杯できるように
少しづつ近づいてきているのだと。ー「家」も「人」も充実してゆくのかもしれない。