精神的(?)人間の証明
芸術・文化に携わる方々の「当たり前・の・モチベーション」である訳
なのだけれど、最近では、中々精神の高揚というものがない。-多分
「大人」になると当たり前の話なのだけれど・・・。大人は「大人しく」なる
わけで・・・。昔、倉橋由美子が「青春の青臭さ・学生服・ニキビ」とか
電車の中での彼女の体験「青春」を否定するような文章を覚えていて・・・。
何の事だか疑問だったのだけれど。-当時は彼女のターゲットは「男子
学生」にあったように思う。-きもちが悪いーという嫌悪感で文章にしていた。
倉橋女史は嫌いではなかったけれど、例えば「訳のわからない彼女の女性論」
は今でも面白いと思う。海外の女性アーティストとは「におい」が違う「日本的な
女性論」を展開していたように思う。-高橋たかこさんとか、どう生きているのかなあ?
やはり女性にとって「子供」を生む、とか育てる。という意識は、ある意味当時の
女性運動家の中でも「大きな問題」で当たり前の事を当たり前のように、やれない
人間の「性」で「女性論」という風に考えてしまったところに問題があったのかも
しれない。-最近ある若い女性アーティストとお会いしてお話した。(あっ、彼女は
女性アーティストと言われる事を拒んでいたのだった)
彼女、いわく。決心したかのように「子供」「赤ちゃん」を作らない事に決めた、と言う・
その話を聞いたとき「うんうん、よくわかる、それは正解かもしれない。」と言ってしま
ってた。軽はずみだったと思うけど。-彼女の決心が美しく「認めてあげたい」気色
なわけで・・・。わたしも真剣にお話する。ので・・・。
そのようなわけで・・・。どこかで「限定」されたものには「弱さ」を感じる。-倉橋女史も
先日の女性アーティストもそのようなわけで・・・。「限定」は範囲を狭くし研究の余地で
はない。-というような事を最近、感じる。-「女性」のあるべき「姿」は、まだどこかに
のこされているかもしれない。ー「母」になる。とかならないとか、そういう問題ではない。
別の意味で「子供」がいない夫婦の現象論。みたいなものもあるわけで。-「子供」が
いないからといって、個人主義が確立するわけでもない。-あああ、現象・考現学的
視点・論点で世の中を面白・おかしく解釈できる人・いないかなあ・・・?!
放浪の写真家・藤田洋三さんは、ある意味で私が求めている、そのような御仁かもしれない。
先日のテロリスト?「足立正夫氏」素敵な叔父様とか思っちゃったけど・・・。私の先輩女史
いわく、「ああ、あの日活のロマンポルノ」とってた人でしょ?って・・・。という具合・・・。
長く生きていると、色んなにんげん模様というか「人間の真髄」を垣間見る事ができる。-
そういう意味では長生きして、色んなことを知るのも悪くはない。
大好きな親友、良子さんが、51歳にもなったけど、「人生ってこんなもんだったのおお?」
「へええ!こんなもんかああ!」って・・・。酔っぱらって叫んでいた・・・。