ジェネレーション・ギャップ
そもそも何処にもギャップはなかったわけで・・・・。たまたま思い出す映画。
「時代やの女房」という映画。-麗しき「夏目雅子さん」彼女の大きな
「美しい眼」を思い出すわけだけれど・・・・。あの映画を観て、あまり印象的
でなかったのは描いていたものと映画の核心に多少の「ズレ」があったように
思うし・・・。(又、「ズレ」の話かなあ?!)素敵な映画だったのに「感動」がなかった
のは「作品性」の問題であるわけで。-多くの「夏目雅子ファン」には良い映画
だったのかもしれない。
そこで何が言いたいのかと。「ズレ」の問題。-そもそもテーマが何処にあるのか。
という事になる。私共は「あをぎり」を「時代屋」にはできず「御都合主義」の「自分
サイズ」というか「レベル」でいいのだと考えていた。というか自然体で「出来る事」
だけに取り組んできたわけだけれど。少し「視点」というか「論点」を変えて営業
してゆこうか・・・。という気色になる・・・・。
先日からの「ヘリテージ」なわけで・・・。「時代」は刻々と刻まれ「時間」も刻々と
流れてゆく。過ぎてゆく「時代」を省みる事なく、いつも遠くばかりを見て過ごして
きたわけで・・・・。段々遠くが近くなると「視点」を変えて生活してゆくのも悪くはない。
今、出来る事はそのような事かもしれない。因みに20代の頃、開高健氏とか
伊丹十三など結構好きで・・・。随分、年上の前の世代の方とか思っていたけれど。
今、自分が当時のその頃の御仁の年になってしまっている。という・・・。
今、読み返すと「なんという事のない話」でも結構面白かったのに・・・・。
時代を感じさせるもの、の中に案外、お客様に喜んでいただけるものがあるとすれば、
それが「あをぎり」の一番の持ち前でプレゼンテーションなわけ。
この見せ方に関しては亭主、母里氏がプロなので彼に任せてみよう、と思う。