都会のねずみ と 田舎のねずみ
私がここ「田川」でしかも「このような古い建物」を抱え、悶々と
暮らしてゆけたのも、多分田川がとても「自由でダーティ」な街だった。
からなのだと思った!-どうしてって、私は土いじりとか草むしりとか
きらいだし・・・。お野菜は新鮮な方がいいに決まってるけど。自分で
育てようなんて思わない。-憧れはあるけど絶対、自分ではできない。
昨夜は友人夫妻のギャラリーのオープニングでアクターは画塾時代の
後輩・作品は30年くらい前とほぼ変わりなく、テクニックの気持ち悪さは
相変わらず・・・。そして年をとった分だけ洒脱さが分散されていて、どこを
向いて何を発表してるのか、、、。よく読みとりにくい。-そこは計算された
「見せ方」なのかもしれないけれど・・・。まあ、昔の合評(画評)みたいに
言うほうも言われるほうも同じような台詞で懐かしかった・・・。
エギジビションは難しいけれど、やはり面白い・こんな素敵な仕事はないよ!
そして二次会は「haco」に流れて、ピンク・フロイドを観て、ツェッペリンや
ジミヘン・を聞いて・・・。「共星の里」の柳氏ともお話できた!-素敵なおじ様
と思ったけれど案外、お若いのかもしれない・・・。今度、皆で遊びにゆきたい
なあと思った。ー彼は私に「好きな事をなんでも喋っていいんだよ。」と仰った
ので安心してうれしくなった・・・。(三島由紀夫の「憂国」という映画の話を
聞いて愕いたのと・「彼、三島は何も残していない」という発言が素敵だった!
一夜明けて、台風の後。昔から「台風一過」風景がすさんでいて荒れている感じ
が結構、好きで・・・。都会の喧騒とかもすきで。朝まで飲んで「新宿の夜明けだあ」
みたいな「台詞」とか・・・。「これから、どうしよう!」みたいなのが身についていて
結構、そういう生き方をしてきたんだろうなあ。と思うわけです。
そこで旦那の話。なのだけれど・・・。私はミーハー根性で建築家は大きなお金を
動かして自分の仕事イコール「社会性」みたいな所がカッコイイナア。と思っていた
ので。旦那に磯崎氏のホワイト・ハウスの話とか安藤忠雄氏の初期の中ノ島の
(大阪)仕事の話とかいつも持ちかけるけれど、うてあってくれない。
「俺は安藤忠雄、嫌い」としか言わない。-だから旦那は「建築家」が嫌いなのだ
と思っていたけれど・・・。(彫刻家の仕事は建築と切ってもきれない部分があって
昔、色んな建築家にお世話になった。)でも母里はあまり建築を語らない。
最近、解りはじめたのは、そもそも「思考」がちがうのだあ。-都市の形成を担う
建築屋さんたちとは、そもそも違うのは当然で。-案外、埋もれた芸術家が
ゴロゴロいるところが「都会っぽい」のかもしれない。「建築野郎」は先日の
内田勘太郎さんみたいな「極上のギタリスト」にはなれない。アクターではない。
という事が少し、解った。