観るという事「我が眼力」
書の「時間」と「空間」―書は「時間」である。「時間」というのはどういうことかというと、1つの字を作るのに筆順というのがある。第1画を描き、第2画を描き、第3画を描くというように、全部順序だ。この順序があるということが「時間」なのだ。その「時間」を守って美しく書くというのが書法。井上有一はその「時間」を否定した。一画二画三画なんていう順序は関係ない、と。-ゴッホの「ひまわり」や「自画像」あれは誰でも見ると感心する。感心する時に、「ひまわり」のどこからら描き始め、どういう順序で描いたかなんて考える人はいないだろう、そこに書と画の完全な違いがある。ゴッホが「ひまわり」を描くときに第一画、第二画、第三画そんなこと考えない、見る人もそんなこと考えない。一目みてアッと驚く、ところが書はそういう驚き方で観られたことがなかった。そこで有一が発見したのが「空間」という概念。つまり、時間を抜け出てアッと一目で驚く空間。その空間性をもたなければ、書法を突き抜けて現代美術、西洋的な美術鑑賞まで行くことができないと考えた。これは墨跡の個性尊重の線上からうまれたものともいえよう。